究極哲学② 存在Xとパラドックス

この究極哲学で大事なこと

前の記事から
自分は自分でない。そして自分の思考・意識・会話は「影」である

そしてまだ語ってなかった「パラドックス」をまずは説明する。
パラドックスには逆説、逆理、背理とされるがこの場合は「矛盾」

何が矛盾しているか?

簡単に言えば、思考、会話など言語・字・言葉・数字など書き表せるものが矛盾している。

「~がある」と言ったり書いたり思う。それは「ない」

難しいですね~

「ある」と思考する。でも実際は「ない」

究極哲学です。

ここに「コップがある」手で触って見て「ある」と認識する
認識したのは誰?

答え:影です。

しかしそれは「コップが無い」事を意味している。
誰にとって? 答え:影にとって

ガチャゲームしているので例です。

「あのキャラが当たる」と願ったり、思ったりする。
しかし
「当たる」は「当たらない」を意味している。

わかりますか? 矛盾している。

そして「当たれ!必ず当たる!」と思考しているのは誰?
答え:影です。

この場合、影は当たらないように思考している。

もっと重要な事

パラドックスは誰から目線でパラドックスなのか?

通常だったら人間から視点でパラドックス(矛盾)と考えるけど違うのです。

 

創造者(この世界を創造した者)から見てパラドックスである事が大事。

今、この瞬間書いている事、私が思考している事、このブログに書いている事全てがパラドックスになっていないといけない。パラドックスであるならば通常の日本語とかの意味となる。

「ある」は「ある」 「ない」は「ない」の意味

 

では例えば
「まじ神だ!」とネットでも動画でも書いてるとする。
本当に神だったらいけない。

本来思考した事が実現するようになっているんだけど
「世界滅亡」と思考して本当になったら困る

その為、世界どの言語も図形・字すべて「パラドックスでは無い」ようにしている。
いいですか。
目線は創造者から視点です。

 

通常は創造主・創造者・・基本的には別の意味になる。
漢字の「神」すらも別の意味になる。

創造者の事をなんと表現できるか?
「X」や「存在X」である

実はこの世界に人間として存在している。
これがですね~ 地球外とか宇宙の外とかそんな話しじゃない。
人間として存在する。

なぜ「X」なのか?

答え:Xと認識する時は影が消える。ほんの一瞬です。
影いなくなったらどこに到達するのか、影=この世界でいう「自分」です。「自分」が消失したら・・創造者に到達する。

パラドックスであるなら「創造主」と言っても過言ではないが、人間になっているので「創造者」が妥当。
ただし人間は「創造者」を見たら「そうぞうしゃ」と思考するはず。この場合は違う。

そしてその創造者はこの筆者の人間として肉体である。その思考とか話している発声ではない。
なので、その人間は自分を創造者と認識できない。
認識は影がしているから。

 

影は存在するのか?

答え:存在しない。
思考とかは出しているが存在すると言えない。

 

結論

パラドックスで語る「無我の境地」
自分自身を消す。
仏教だと「 悟り」に似ているけど違う
とにかく影を消し去ること。これが大事

やり方があるんだけど、影が出した私欲・願いを叶える事ができる。

影はこんな思考もしている「節約する思考」
その場合、欲をあまり出さないので倹約家になる。

ガチャ
人によっては影が「よし、課金しちゃえ」と誘導(思考)して廃課金者にしてしまう。

人によっては「エロが見たい」と思考させる。
マインドコントロールに似ている。

マインドコントロースは存在するか?
これは催眠療法も同じだが、影の演技にすぎない。

創造者は今までは影に対して深く規制をしていない。
それは戦争でも。今後変わるかもしれない。

 

 

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